令和の暑い夏がやってきました。私は最近やっと令和に慣れ始めてきました。診断書に日付を書く時は、ついつい平成と書いてから間違いに気付き、二重線で訂正して令和に書き直す事が度々ありましたが、頭の方がやっと学習してくれてスムースに令和と書けるようになりました。略語のRは比較的にスムースに頭に入ってくれましたが、これはヨーグルトのR1の宣伝効果が大きいと思います。脱水に注意し暑い夏を乗り切りましょう。
平成4年、医師国家試験に合格し医師となりましたが、まだまだ初心者です。世間はバブル~バブル崩壊期になっていたようでしたが、病気とバブルは関係ありません。世間の動向には左右されず、よもやま研修医として指導医の後ろを追っかける日々が続いていました。現在と違い昔は、研修プログラムや講義などありません。指導医(我々は「オーベン」と呼んでいました。ドイツ語のobenで英語ではaboveで上級医という意味です。)のやることなす事を真似しながら覚えていきました。いつも金魚の糞のようにオーベンにくっついて行動していました。嬉しいことは、食事代は大体オーベンがおごってくれました。バブル期で得したのはこれくらいです。大工さんとかとほぼ同じシステムで研修していました。
こんな中、9月から大学を離れ他の病院に研修に出ます。中国四国各地の病院です。その病院を決める方法があみだくじでした。あみだくじでも選ぶ順番が大事です。まず、あみだくじを引くための順番を決めるジャンケンがありその順番でくじを引いていきます。くじの下には番号が書いてあり、その順番で研修病院を選ぶことが出来ました。当時一番くじの研修先は香川県立中央病院で最下位は当時の国立岡山病院でした。
研修先の最下位の国立病院は手術は沢山経験出来ますが、給料が安く、同期で就職した看護師さんより低額で同期の看護師さんに奢ってもらうこともありました。給料を稼ぐために土曜や日曜は「ジッツ」と呼ばれる関連病院に「ネーベン」と呼ばれるアルバイトに行くことになっていました。バブル崩壊と騒いでいる世間を横目に我々は月火水木金金金の生活でした。病院用語を岡山弁で使うと「これからオーベンの命令でジッツの佐藤にネーベンに行くからあとよろしく」訳すと「上級医の命令で関連病院の佐藤病院に日勤当直の仕事に行かなければならないので、残りの仕事を宜しくお願いします」という意味になります。
初心者マークが関連病院の日曜や祝日をカバーしていたので、今考えると冷や汗が出ます。初心者マークでも一応先生です。その頃の関連病院は救急病院が多く、こっちにとってもあっちにとっても最悪です。それに、当直医は1人です。「先生熱の患者さんがこられました」と連絡があると、当直医マニュアルの発熱の項を斜め読みし、患者さんに不安がられないように対応するという綱渡り的な診察をしていました。外傷の方が来られると、日々オーベンを見てやってきたことを急に実践することになります。額に脂汗をかきながら治療にあたります。こんな時に助けて下さったのが、ベテランの看護師さん達でした。検査に迷ったら、「この検査とこの検査で良いですか」とか、薬に迷ったら「当院にはこの薬がありますが、これで良いですか」とか「ここは洗浄して、ドレーンを入れて縫合しますか」とかと答えを誘導してくれました。やっぱり、看護師さんは白衣の天使でした。でも、ご安心下さい。手に負えない患者さんは、ちゃんと待機の先生に連絡し適切に対処してもらいました。このような、ぶっつけ本番的な事態は、全身全霊で対処するため、大いに勉強になりました。
日々慌ただしく研修しているうちにいつのまにかバブルは終わっていました。バブルが終わる頃に研修も終わったため、今だにバブルが何か分かりません。ただ、世間が慌ただしく騒いでいる頃に、私も慌ただしく、日夜忙しく研修した事を思い出します。今の研修医は給料も以前よりよく、研修プログラムもしっかりしていて羨ましく思いますが、脂汗をかいてがむしゃらに頑張り、白衣の天使と出会えた研修も今では良い思い出です。