平成30年も6月となりました。6月1日は亡き父の誕生日でした。父の死を思い出しながら、いつかはやって来る自分の最後の時の事を考えてみました。出来るなら、自分で最後の時の生き方を決め、最後まで尊厳を持って過ごせる日々を送りたいと思っています。
自分でも終末期の医療の目的は病気を治すよりも、尊厳を持って最後の日々を過ごせるように配慮した医療を提供したいと考えています。以前は、少しでも医療の力で延命させてあげたいと思っていました。それが、在宅での看とりに関わるようになり、考えが変わってきました。口から食べたり、飲んだり出来なくなれば、点滴や胃瘻などの医療により延命が出来ます。しかし、医療が進歩する前は、最後は自分で水分も摂ることが出来なくなり、自然と脱水になり、危篤状態となり、旅立たれました。昔は、ほとんどの方が自然な形で、家で亡くなられました。多分、寝るように亡くなられるので、家族で看とりが出来たのだと思います。今まで私が看取った方々も、あまり医療に頼らず、自然な形で脱水となり旅立たれた方の多くは、微笑んでいるように見えました。
このような最後が迎えられる事には、医学的根拠があります。最後の脱水状態の時は苦痛に満ちているのではなく、脳から出る脳内物質により、安らかで、心地よい幸福感に満ち溢れた状態になっているようです。延命のための医療がこの脳内物質の分泌を妨げることもあります。
私たちは、自分の最後をより良い最後にするために、生前から自分の最後の時の事を考えておく必要があります。最後の時を子供や他人任せにするのは、自分の人生の総仕上げが出来ないような感じがします。今、最後の時の事を自分でよく考える、自分で決めることが求められていると思います。
「リビングウィル」。生前の意思の意味で、病気などで意思表示出来なくなった時に備えて治療などの希望をあらかじめ残しておくことで、「指示書」とも呼ばれています。いよいよ臨終という時に、無益な延命治療などしないで、苦しみのない穏やかな旅立ちを目指して、今から準備しておく必要があると思います。次号ではリビングウィルをより現実にするACP(アドバンス・ケア・プランニング)について考えてみたいと思います。