令和2年8月となりました。コロナ禍が無ければ、今頃は東京オリンピックの熱狂の真只中で日本人選手の活躍に身悶えするくらい感動していたと思います。ただ、実際は新型コロナウイルス感染症と豪雨災害で身動きが取れない状況になっています。相次ぐ災害に立ち向かうには太平洋戦争の惨禍から立ち上がってきた諸先輩方の経験と勇気が必要になるとともに、戦争を知らない世代も過去の悲惨な出来事を知り、そこから立ち上がって今の日本がある事を学ばなければならないと思います。今こそ先人の英知を学びコロナ禍を乗り切る糧にしなければなりません。
8月15日は75回目の太平洋戦争終戦記念日になります。今年95歳で今でも当院に自転車で通ってくれている橋野 猛氏は第16岡山県高齢者主張大会で「戦争体験と平和、平和の尊さを訴え続けたい」と自らの戦争体験を語っています。その話の中で橋野氏は、若い女性のラジオ放送のなかで「昔、日本とアメリカが戦争したんだって。」、「えっ、それ本当の話なの。で、どちらが勝ったの。」と話していたのを聞いて仰天したそうです。あの戦争がもう昔話になっていたからです。
昭和16年12月に開戦した日本は3年余りの戦いの果てに日本本土に追い詰められ昭和20年本土決戦を挑むため各地で米軍を撃ち迎える準備をしていました。橋野氏も相模湾の海岸陣地で現役兵として沿岸の洞窟に潜み、上陸してくる敵戦車に走り込んで、抱えている刺突爆雷を打ち当てる特攻攻撃の訓練に励んでいました。訓練中の8月15日に突然終戦となりました。氏はその3週間後に岡山に復員しましたが、2日がかりで帰還する途中、目にしたほとんどの都市は空爆で焼け野原になっていたそうです。食糧不足にあえぐ国民はヤミ市に押しかけ、親を失った戦災孤児は町をさまよい、パンパンと称される若い女性が夜の街に立っている姿に、敗戦の無惨さを思い知らされたと述べています。あの戦争を知っている氏にとって「平和」こそが絶対であり、戦後75年近く積み重ねてきた平和な日本を後世に継続させる責務があることを自認し活動を続けておられます。
今年は戦後75年。あの戦争を乗り切り、発展を築いた日本。その礎には橋下氏のような方達が頑張ったからこそだと思います。コロナ禍の現在、日本の将来のため私も志を持って行動したいです。