令和元年11月10日に医療法人一進会 河合外科内科は開院50年を迎えます。開業は昭和44年11月10日で当時病院前の人絹道路はまだ未舗装でした。開院時に私はまだ3歳で、当時のことはほとんど覚えていませんが、今回50周年を迎え、古い写真などを見返して見ますとこの辺り一帯はまだまだ田畑に囲まれ、現在からは想像も出来無い風景でした。
開業には河合 進の父(私から言うと祖父にあたる)河合済一の強い望みがありました。進は岡山一中、岡山朝日高校と進学し、本人の希望とは違う岡山大学医学部に進学しました。朝日高校時代は福田の実家から毎日徒歩通学し、歩いている時間を読書に費やしていました。その後、本人の希望とは違う岡山大学医学部に進学しましたが、大学一年の冬、自分の行きたかった東京大学文学部を岡山大学に隠して、こっそり受験しましたが(当時はそんな事が出来たようです)、失敗し、医学の道に進む決意をしたようです。ただ、学生時代はヨット部にのめり込み、ヨット、麻雀の後やや勉強という生活でした。
医者になり大学でのインターンが終わり、当時呼吸器外科のメッカであった、山口の山陽荘病院で研鑽し、これから岡山大学で呼吸器外科を頑張ろうとした矢先に父済一から開業の夢を託され、昭和44年11月10日に河合外科を開業しました。
当時の診療時間は朝8:30~13:00, 14:00~19:00で救急対応も、入院治療もするという現在では考えられないような過酷な仕事でした。進はこの仕事を40年間続け、休む暇もなく、平成24年8月16日に旅立ちました。この間に地域の皆様からのご厚情や父の大好きだった野球関係の皆様から力をもらい、皆様の力で最後まで人生を全力疾走出来ましたことに感謝申し上げます。
一進会の名前の由来は一進に頑張るではなく、祖父「済一」の「一」と父「進」の名前から祖父と父が共に力を合わせて作った法人と追う意味で「一進会」となりました。
その後、平成13年から河合友子が一進会で診療を始め、平成19年からか河合俊典が平成29年から久保義郎が一進会に加わり現体制となりました。平成20年に地域に根ざした医療を一歩前に進める形で、医療と介護を一体として取り組むため、医院の改築と同時に通所介護「なの花」、小規模多機能型居宅介護「たんぽぽ」がスタートしました。
医院は「まごころと笑顔で最良の医療と看護を提供します」「健康管理や病気の予防に努めます」「信頼されるかかりつけ医、家庭医を目指します」を基本理念に、地域に根ざした医療の提供に努めています。介護は「笑顔 思いやり 安心して過ごせる雰囲気の中 共に生きる」を基本理念にスタートし、小規模多機能施設は現在、看護小規模多機能施設と進化し「たんぽぽ」と「ひまわり」の二本立てでサービスを提供しています。
現在では、一進会独自の地域包括システムとして、医療介護のさらなる融合を目指し、河合外科内科、サービス付き高齢者住宅「花の里」、看護小規模多機能型居宅介護「たんぽぽ」、「ひまわり」、通所介護「なの花」、かわい居宅介護支援事業所、かわい訪問看護ステーションがそれぞれ連携し医療と介護の更なるステージを目指し頑張っています。これまでの50年に負けないよう、更なる飛躍を目指し次の50年に向けて頑張って行きたいと思います。今後ともご指導、ご鞭撻を賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。