夏本番です。日本の夏は蒸し蒸して、とても暑いですが、暑さを払いのける知恵もあります。打ち水や風鈴の音、団扇、蚊取り線香、すいか、浴衣など夏を小粋に楽しむ道具があります。線香花火と蚊取り線香、浴衣と団扇、ビールと枝豆、暑い夏をちょっと小粋に楽しんでみるのも乙なものです。
先日ふとなぜか目を閉じて道路を歩いて見ました。とても恐ろしいです。車の音、バスの音、バイクの音、自転車の音、人の声、どこからか聞こえる音楽など多くの音が360度から耳に入って来ます。目を開けている時には聞こえなかった音が、体のまわりから、様々な角度で耳に突き刺さってきます。
盲目の方はこのような世界で暮らしているのだと気付きました。今まで気が付かなかった方がおかしいですが、やっとこの年で目が見えないことは非常に大変なことだと理解できました。少し遅すぎますよね。反省です。
解夏という、さだまさしさんの本があります。健康でありながら徐々に視力を失っていく方のお話ですが、その中に「光が見えるから暗闇が見えるんだ。暗闇というもはね、光が見えない者には存在しないものなんですよ。私は失明して初めて知ったね。今まで自分は暗闇という光を見ていたんだとね。」というくだりがあります。また、「かつて見えていたから言うんだが‥•つまり失明するってことはねえ、明るいところから闇に突き落とされると思っていたんだ、だがねえ、決してそういうわけじゃないんですよ。ちょうどねえ、そう‥•乳白色のきりの中にいると思えばよい。」この文章を読むと、目が見えていた人には失明の恐怖感がとてもあり、光をうしなった世界は真っ暗闇と考えがちですが、解夏では視力を失うと、乳白色の世界になると書いています。少しだけ安心感を感じます。
では、生まれながらに見えない方の世界はどうなのでしょうか。光や色の無い世界で生活されています。ただ、音と嗅覚と触覚の世界です。私の想像ですが、音の中に、色と同じ様な感覚があり、自分の好きな色と同じように、好きな音があったり、音のブレンドがあったりして、心のパレットでは色彩豊かな音のグラデェーションが構築されていると思います。色の変わりをする、音のパッレットで多くの音を判別しているのでしょうか。演奏家の辻井伸行さんの素晴らしさは目が見える人には到底判別出来ないほどの音のパレットを駆使して音楽を演奏するから、耳から伝わる以上の物が伝わってくるのだと思います。辻井さんの音のパレットを色に変えると、楽譜がとんでもないほどの綺麗で壮大な色の帯になっているのではないでしょうか。
また、視覚障害の方がマラソンにも参加されています。風景が見えないまま、ただ黙々と走っておられます。でも、走りたいという欲求があるから、走ると楽しいから走っておられると思います。我々とは違う楽しみを持っているはずです。心臓と対話したり、筋肉と対話したり、スピードと匂いの変化を楽しんだり、と想像します。
急に目を閉じると、今の道路では歩けません。視覚障害の方が生活しやすいようもっと整備する必要があります。その整備の中で、視覚障害の方が楽しめる整備の方法をもっと考える必要があります。ありきたりの点字ブロックなど目が見える者が考える方法ではなく、これからは、光を知っている方と知らない方が参加し何かユーモアがあり、視覚障害者だからできる整備方法を考えて行く必要があるのではないかと思います。