父、河合進が8月16日朝、その生涯を閉じました。
平成23年末、胃癌が見つかり、根性で闘病生活をおくりました。父は自分の健康に過信していたためか、検診など受けず、癌が見つかった時は、すでに手遅れでした。でも、大好きな仕事を続けるため、大好きな患者さんと合うため、6月初めまで、診療を続けました。痛さ、辛さを言葉に出すこと無く、闘病と仕事を最後まで続け、旅立ちました。
私がもの心ついた頃、父は外科医でした。良くも悪くも外科医でした。朝から夜までずっと仕事をして、その後、飲み会というパターンが一般的で、家にいる時も夜は、友人が集い、空のビール瓶が何本も並び並びました。父は本当に賑やかで盛大に飲むことが好きでした。
父は麒麟ビールを愛していました。他のビールを麒麟ビールだといっても多分わからなかったと思いますが、麒麟が一番でした。父は麻雀も好きでした。晩年はもっぱら麻雀ゲーム専門でしたが、毎日のようにしていました。あれだけするのに何故勝てないか、不思議でもありました。父はタバコも好きでした。昔の写真には診療中にもプカプカふかしているものもありました。
父は、昭和44年11月10日に診療所を開業し、雨の日も、風の日も、通風発作の日も、ぎっくり腰の日も、前立腺炎で40度の高熱の日も、休む事無く、走り続けました。四十数年全力で走り続けました。
昨年、病気が発覚し、少し走るペースが落ちましたが、最後まで走り続けました。そして、この8月16日にやっとゴールすることができました。このゴールは私にとって辛いゴールでしたが、ゴールした父の顔は、「儂のゴールを悲しむのではなく、祝ってくれんといけんなー」と、物語るように笑っていました。宴会好きの父のことですから、先に逝った先輩や友人達とワイワイビールを飲んでいるのでしょう。そして、後から来る人のために、しっかり宴会の準備をしていることでしょう。私も父の冥福を祈って「乾杯」。
葬儀の際には、多くの方より、丁重な見送りをして頂きました。これもひとえに父の人徳によるものだと感服すると同時に暑く忙しい中、お別れに来て頂きました皆様には心より感謝申し上げます。
これからは、大きかった父の背中をいつか越えることが出来るよう、日々研鑽するつもりです。今後ともご指導、ご鞭撻を賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。