6月になりました。暑く蒸し蒸しする季節の始まりです。これから7月の中頃まで鬱陶しい日々が続きます。でも、梅雨が農作物を育て、夏の干ばつを回避し、我々に恵みを与えてくれる地盤を作ってくれると考えれば、梅雨も天の恵みと思えてきます。梅雨の中での小さな楽しみは、紫陽花の花を見る事です。雨の中で見る紫陽花はもの静かに優しそうで、それでいて、品のある美しさを備えているように見えます。紫陽花の葉に、大小のカタツムリが寄り添っているような風景は、日本の梅雨の楽しみの一つかもしれません。ただ、紫陽花の花言葉は白雪姫のまま母を思い出すような花言葉で好きにはなれません。紫陽花には、しとしと雨のなか、カタツムリがのんびり動く風景が似合っていると思います。
朝、目覚ましの鳴る時間にぴったり目が覚め、新聞の運勢が吉で、体にぴったりのシャツを着、ネクタイがぴったりと良い長さに結べ、ぴったりした靴をはいて家を出る。このような日は良い一日になると思います。
「ぴったり」とは、すきまの無いさまを表す言葉で、過不足ない、合う、ツボにはまった、フィットなどの意味があります。日常生活の中で、「ぴったりあう」ということは、幸運とか最上級ではなくても、及第点以上に気持ちが良い状況を表していると思います。
でも、「ぴったり」感を味わうには努力も必要です。「ぴったり」を探す努力をした上で、発見できるのが「ぴったり」です。努力無しには「ぴったり」は味わえません。ぴったりした服を着るには、何着も試す必要があります。ある時にはダイエットも必要になるかもしれせん。「ぴったり」を得るには「ぴったり」を探す努力を要します。努力の上に成り立つ幸福が「ぴったり」なのでしょうか。
人それぞれで「ぴったり」の度合いやレベルが違います。多くの人が「ぴったり」するもの、それは、究極のスタンダードなのかもしれません。私自身について言えば、多くの方に、私に「ぴったり」の医院と言われるとものすごく嬉しいし、反面、プレッシャーも感じます。でも、多くの方に「ぴったり」と言われるよう精進し努力します。「ぴったり」は探す方も提供する方も努力が必要で、双方の努力の上に成り立つものだと思います。
ネクタイの長さがぴったり結べた日に、この「ぴったり」について何か書けないかと思い書いたら、この様な文章になりました。これからも、「ぴったり」を求めながら、たくさんの方に「ぴったり」を提供できるようにしていきたいです。